──過去の自分がずっと勘違いしていたこと
はじめに
「凡事徹底が大事だ」
これは、今でも間違っていないと思っています。
やるべきことを、当たり前に、やり切る。
特別な才能より、まずはそこから。
ただ、過去の自分は
凡事徹底さえしていれば成果は自然と続く
と、本気で思い込んでいました。
結果が出たときほど、
その勘違いは強くなっていった気がします。
当時の自分は「行動」で安心していた
過去の自分は、とにかく動いていました。
- 電話をかける
- 商談に出る
- 数字を追う
- 成果が出たら、次も同じことをする
行動量も多かったと思いますし、
結果が出る時期もありました。
だからこそ、
「正しいことを、正しくやっている」
そう信じ切っていました。
でも、成果は“続かなかった”
不思議なことに、
同じように行動しているのに、
- 成果が安定しない
- 再現されない
- 周りに広がらない
そんな状態が何度も起きました。
当時は、
- 環境のせい
- タイミングのせい
- たまたま運が悪かった
そんな理由を、
心のどこかで探していた気がします。
見落としていたのは「なぜ、そうしたのか」
今振り返ると、
当時の自分に決定的に足りなかったのは、
「なぜ、その行動を選んだのか」を言葉にすること
でした。
- なぜ今、この質問をしたのか
- なぜ今は、提案しなかったのか
- なぜ今回は、アポを打診したのか
結果が出たときほど、
その理由を深掘りせずに
次の行動に移っていました。
凡事徹底は「考えなくていい免罪符」になる
ここで初めて気づきました。
凡事徹底は本来、
考えることから逃げるための言葉ではない。
でも当時の自分は、
凡事徹底を盾にして、
- 判断を振り返らない
- 解釈を言語化しない
- 次に残さない
そんな使い方をしていたのだと思います。
成果が続くようになった、たった一つの変化
転機になったのは、
行動を増やすことではありませんでした。
やったことは、ただ一つ。
結果が出たときほど、
「なぜそう判断したのか」を書き出すようにした
- 何を見て
- どう解釈して
- どこで判断を切り替えたのか
それを、できるだけ具体的に残す。
すると、不思議なことに
同じ行動でも成果が安定し始めました。
凡事徹底は「土台」であって「答え」ではない
今の自分にとって、
凡事徹底は今も大切な考え方です。
ただし位置づけは、はっきり変わりました。
- 凡事徹底 = スタートライン
- 判断の言語化 = 再現性
土台がなければ積み上がらない。
でも、土台だけでは形にならない。
そう考えるようになりました。
このサイトで書いていきたいこと
digoutでは、
- うまくいった話
- すごいテクニック
よりも、
- なぜその判断をしたのか
- どこで分岐が起きたのか
- 何を見落としていたのか
そういった
成果の手前にある思考を掘り出していきます。
おわりに
もし今、
- 頑張っているのに成果が続かない
- 行動量はあるのに手応えが薄い
そう感じているなら、
「凡事徹底できていないから」
ではないかもしれません。
すでに十分やっているからこそ、
次に必要なのは“判断を残すこと”。
過去の自分が、
一番遠回りしたポイントでした。
